<参照・引用/スコーレ 115号> 若木一美さん 2022.4.18 小林 勝

私とレクリエーション史 その1 

 若木 一美 わかき かずみ さん

 鎌倉市レクリエーション協会 会長

 (特定非営利活動法人) 神奈川県レクリエーション協会 広報誌「スコーレ」

 第115号(2021年11月1日発行)

 

スコーレ 115号に「私とレクリエーション史」と名打って、鎌倉市レクリエーション協会・会長の若木一美さんが寄稿文を寄せています。

若木さんとは、県立鎌倉青少年会館の利用サークルの行事でよく一緒に活動をしていました。

不動産会社の御曹司さんですので、発言や行動が積極的でした。

現在は、鎌倉市レクリエーション協会の会長さんをされているんですね。

 

コラム

私とレクリエーション史 その1

 鎌倉市レクリエーション協会・会長の若木一美さん

 

私がレクの活動を始めたのは、学園紛争が終了した直後の昭和45年(1970年)です。

昭和38年(1963年)から始まった集団就職の専用列車が、昭和39年(1964年)のピーク時には延べ3,000本運行される等を受け、行政は勤労青少年対策に力点を置き、神奈川県では1市1館の青少年会館建設も始まりました。昭和41年(1966年)4月には第1号として横浜市に紅葉坂青少年会館が開館し、昭和49年(1974年)の津久井・座間・海老名まで、この間に21館が整備されました。(会館主催事業としてレクリエーション関係も取り上げられ、行政主導の研修会も多数開催されていました。)

当時は横浜駅西口周辺の喫茶店には団体ルームがあり、そこに行かないと人に会えない頃でした。歩きながらでもガラスの向こうに人の顔が見える現在とは大きな違いでした。青年たちはそこに集い、「レクリエーション」と称したゲームやソング、ダンスを中心に活動し、その中からリーダーが生まれ野外活動や軽スポーツ等さまざまな活動を行っていました。

一方、日本レクリエーション協会指導者養成の歴史から見ると、昭和21年(1946年)にスクエアダンスからレクリエーションの歴史が始まりました。昭和26年(1951年)にはレクリエーション指導者検定制度も開始され、昭和37年(1962年)には初級・上級の2段階制となり、さらには昭和48年(1973年)に2級・1級・上級と3段階の制度となりました。

また、昭和44年(1969年)には過程認定校の前身となる、仙台大学社会体育コースの学生を対象とした養成が始まりました。同時期に日本体育大学、滋賀大学、筑波大学(当時は、東京教育大学)でも開始され、平成2年(1990年)には現在の過程認定校制度が発足しています。

このような、時代背景でした。<以下、次号に続きます。>